少年期
1985年10月15日生まれ、佐賀県鳥栖市出身。曾祖父・川田若彌(騎手、調教師)、祖父・川田利美(調教師)、父・川田孝好(騎手、調教師)と続く競馬一家で育ち、ごく自然に騎手を目指すように。小学3年生のときに、父が懇意にしていた馬主のご息女が経営する『マーキュリーライディングクラブ』に入会。中学2年生のときには、福岡県大会(障害飛越部門)で春秋2連覇、中学3年生の春大会にも勝利し、3連覇を果たした後、中内田充正調教師の実家である信楽牧場で、小6の夏以来、2度目の研修を1カ月過ごす。
1985年10月15日生まれ、佐賀県鳥栖市出身。曾祖父・川田若彌(騎手、調教師)、祖父・川田利美(調教師)、父・川田孝好(騎手、調教師)と続く競馬一家で育ち、ごく自然に騎手を目指すように。小学3年生のときに、父が懇意にしていた馬主のご息女が経営する『マーキュリーライディングクラブ』に入会。中学2年生のときには、福岡県大会(障害飛越部門)で春秋2連覇、中学3年生の春大会にも勝利し、3連覇を果たした後、中内田充正調教師の実家である信楽牧場で、小6の夏以来、2度目の研修を1カ月過ごす。
2001年4月、JRA競馬学校に騎手課程第20期生として入学。入学早々、落馬により右足首を骨折し、自主退学を申し出るも、1カ月に渡る学校関係者や親族の説得により退学をあきらめ、騎手デビューを目指して邁進。入学当初、同期は17人いたが、自主退学、技術不足による退学勧告、留年により、騎手としてデビューしたのは、上野翔、川田将雅、高野和馬、丹内祐次、津村明秀、藤岡佑介、水出大介(現調教助手)、吉田隼人の8人。
2004年3月7日、栗東・安田隆行厩舎所属として騎手デビュー。3月20日、デビュー4戦目となった阪神8Rの4歳上500万下(ホーマンルーキー)で初勝利を挙げる。同年6月6日、中京11R・愛知杯(GIII)で重賞初騎乗(カレンバレリーナ11着)。同年9月25日、ゲヴァルトに騎乗した阪神10R・甲東特別(3歳上1000万下)で特別戦初勝利。デビュー初年の成績は、255戦16勝。2005年は540戦39勝。
2006年1月、フリーに転身。同年2月4日、メジロマイヤーに騎乗した小倉大賞典(GIII)で重賞初制覇。同年の日本ダービーにてGI初騎乗(スーパーホーネット15着)。2008年の皐月賞をキャプテントゥーレで勝利し、GIジョッキーの仲間入り。2010年にはビッグウィークで菊花賞を勝利。2011年には109勝を挙げ、全国リーディング3位、2012年にはジェンティルドンナでオークスを制し、名実ともにトップジョッキーの域に。同年の夏には約1カ月間、フランスのドーヴィルを拠点に騎乗し、さらなる飛躍を目指して貴重な経験を積んだ。
2013年、ハープスターと出会う。同年は120勝を挙げ、全国リーディング2位のほか、勝率16.6%をマークし、初めてJRA賞最高勝率騎手を受賞。ハープスターとのコンビでは、2014年の桜花賞を制したほか、同年の凱旋門賞に本命馬の一角として参戦して6着。この年も前年に続き、JRA賞最高勝率騎手を受賞した。2016年には、マカヒキで日本ダービーを制し、デビュー13年目にしてダービージョッキーとなる。同年9月11日には、武豊騎手に次ぐ2番目のスピード記録(デビューから12年6カ月5日)で通算勝利数を1000の大台に乗せたほか、年末には年間制裁点が0点の騎手に与えられる特別模範騎手賞を受賞(美浦か栗東のどちらかで、勝利数、獲得賞金額、勝率各部門のうち5位以内の部門があることが条件)。
2019年には、自身最多となる年間重賞15勝をマークし、トータルの勝ち星も初めて150の大台に乗せた(152勝)。以降、毎年GIタイトルを積み重ねるなか、2021年にはラヴズオンリーユーとともに挑んだBCフィリーズ&メアターフで海外GI初制覇。同馬とのコンビでは年末の香港Cも制し、海外GI2勝目を挙げた。翌2022年は年間143勝を挙げ、ついにリーディングジョッキーの座を奪取。JRA最高勝率騎手(2019年から4年連続)、JRA最多賞金獲得騎手も受賞し、史上4人目の騎手大賞に輝く。2023年は、ウィシュバテソーロとのコンビでドバイWCを制覇したほか、リバティアイランドで桜花賞、オークスの2冠を達成。2023年7月10日現在、通算成績は11878戦1905勝、うち重賞124勝、GI・23勝。